デンバー日本語補習学校の歴史
学校の主な沿革
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1981年9月日本企業懇話会の設立常陸宮殿下及び妃殿下のデンバーご訪問の際、デンバー周辺への進出日本企業の代表者もレセプションに招待され日本企業14社の存在が明らかになった。この事が日本企業懇話会の設立の動機となって、正式に日本企業懇話会が設立された。日本企業懇話会の調査により、14社に在留する邦人児童生徒が27名もいる事も判明して、学校設立の運動が始まった。
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1981年10月学校運営委員会の設置日本企業懇話会の中に学校運営委員会を設置して日本語補習学校の開校準備を進める。
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1981年12月13日日本語補習学校をスタート
コロラド大学のウイリー永井教授を校長にお願いして、4名の教師を採用、アラパホ・コミニティ・カレッジの4教室を借用して、毎週日曜日午前9時から午後3時までの学校をスタート。教科は国語・算数。4月の新学期より新1年生となる4名の幼稚部児童を含めて24名(小学部16名、中学部4名)の生徒数であった。
登録: 海外子女教育振興財団 1981年12月
コロラド州>コロラド州 1982年2月
文部省、外務省よりの認定>文部省、外務省よりの認定 1982年4月 -
1982年4月4日デンバー日本語補習学校正式に開校
児童数23名(小学部18名、中学部5名)教師4名で補習学校として正式に発足。教科は国語・算数・理科・社会> 児童数23名(小学部18名、中学部5名)教師4名で補習学校として正式に発足。教科は国語・算数・理科・社会 -
1989年11月3日デンバー補習学校ウイリー永井校長が勲四等瑞宝章を受賞される。
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1991年7月21日デンバー補習学校10周年、山形県・コロラド姉妹都市5周年記念の合同植樹祭をアラパホ・コミニティ・カレッジにて行う。
アメリカ産サクランボの苗を日本語補習学校使用校舎前に、山形県郷土芸能「黒川能」一行、児童、アラパホ・コミニティ大学関係者一緒に植樹 -
1993年9月7日IRSより正式に、NON PROFITABLE ORGANIZATIONとして登録認可
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1998年デンバーサミット開催、デンバーに来訪された橋本首相よりデンバー補習学校に、コンピューター、顕微鏡等が寄贈された。
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1999年3月副校長を新設、今村忠良氏に就任して頂いた。
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1999年5月アラパホ・コミュニティ・カレッジ改装の為、スプリング・インターナショナル・ラングエッジ・スクールに校舎移転
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2000年4月在デンバー日本国総領事 水谷周氏
名誉校長就任 -
2000年9月10日再び、アラパホ・コミュニティ・カレッジに校舎を移転
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2000年9月10日有森裕子さんを迎え、運動会の練習
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2001年9月秦 邦明氏 校長就任
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2001年9月23日幼稚部運営開始
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2001年9月30日有森裕子さんと金沢イボンヌさんをゲストに迎えて運動会開催
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2006年9月清水秀子 校長就任
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2010年4月コロラド州よりプレスクールの運営ライセンスを取得(ライセンス#159336)
プリスクール「さくら組」開講 -
2011年6月学校校舎(借用校舎)を、リトルトン市アラパホコミュニティーカレッジより、ハイランズランチ市サンドクリークエレメンタリースクールに移転
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2013年4月臼井洋一 校長就任
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2014年10月学校校舎(借用校舎)を、ハイランズランチ市サンドクリークエレメンタリースクールよりリトルトン市の学校施設へ移転
コロラド州からプリスクール「さくら組」に対してエグゼンプションスクールの許可を取得(エグゼンプション許可ID 1648246) -
2015年4月ジョーン・エリクソン先生
教育アドバイザー就任 -
2016年4月文部科学省 在外教育施設派遣 デンバー補習授業校長 佐々木光治 校長就任
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2016年4月デンバー補習校の母体であるJFAがロッキーマウンテン日系企(JBAR)へ名称変更
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2018年3月佐々木光治 校長 退任
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2018年6月キックボクサー武尊さんを迎え講演会
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2018年8月日和里太鼓 グラミー賞受賞
中村浩二先生を迎え演奏会及び体験授業 -
2019年5月日本人初 アメリカプロラクロス 岩本海介選手とDenver Outlawsを迎え
体験授業・講演会 -
2020年8月文部科学省 在外教育施設派遣 デンバー補習授業校長 青葉正之 校長就任
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2022年8月学校校舎(借用校舎)を、リトルトン市からパーカー市の学校施設へ移転。コロナ禍による約2年半のオンライン授業を経て、対面授業を再開
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2023年3月青葉正之 校長 退任
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2023年4月文部科学省 在外教育施設派遣 デンバー補習授業校長 横澤広美 校長就任